2015年4月8日

気象庁前 八重桜


2005年から始めました 「 紀子の部屋 」 も
1, 2, 3 と続き 今年で10年目になります。

前回のブログでもお話しましたが ライブドアブログの管理ページに
ブログの快適度指数というのがあり 快適度が非常に悪化している
と指摘されていました。

たぶん他のブログに比べて 写真の枚数が異常に多く
また1ページに載せる量も 多いせいだと思います。 

という事で ちょうどブログを始めて10年になりますので
これを機会に 新しい紀子の部屋を立ち上げることにしました。


↓ 今年の春の写真、 千鳥ヶ淵です。

千鳥ヶ淵


名前は 「 紀子の部屋・New 」 にしました。

「 紀子の部屋 4 」 よりも New をつけたほういいかな、と。
写真と文字も大きくしました。


これからも ゆっくりの旅行記ですが 
出来るだけお安く でも 雰囲気は豪華に、 
そんな旅行を目指して 日々研究し みずから実践して
その様子を具体的に書いて行きたいと思っています

どうぞお時間のある時に 覗いてください。

千鳥ヶ淵


また時々は私の病気の事も書いていくつもりです。

今ままでのブログにも 不定期ですが 病気のことを書いていました。
最初の頃は このブログを読んでくださっているのは
本当に親しい方に限られてていましたので 
かなり頻繁に 先生の悪口など書き続けていました。

千鳥ヶ淵


でも時間とともに 今までお会いしたことがない沢山の方々が
このブログを読んでくださるようになり ( 病気や治療に関しての )
私の一方的な感情任せの文章は 載せてはいけないかな、と
思うようになりました。
( といいながら ガッツリ 書いていましたが。。 汗 )
でも このブログの最初の趣旨どおり 闘病中であっても 
出来る限り 私の様子は 皆さまにお知らせしてきました。

新しいブログを立ち上げた事もあり また10年目ということで
今まで 断片的にしかお伝えしていなかった 私の病気の様子を 
さらっと書いてみたいと思います。
( さらっと、 書くつもりでしたが 何しろ病歴が長いので
  それなりに長くなってしまいました、 苦笑 )

千鳥ヶ淵


私は 2002年に 人間ドックで悪性リンパ腫がみつかり
先生からは ステージ3の終わり、 限りなく4に近い と言われました。
また 細胞診の悪性度も高く、 色々な数字や評価をみると
その時点では 何もしなければ あと半年、と宣告されました。
でも その半年前位に 分子標的薬のリツキサンという薬が登場し 
生存率が飛躍的に伸びた時期に当たっていました。
まずは 最初に手術で 悪性リンパ腫が出来ていた脾臓を全摘し 
その後 リツキサン+抗がん剤の標準治療、R-CHOP療法を
7回受け なんとか寛解しました。
( 髪の毛は抜け 抗がん剤の副作用に苦しみましたが ) 

お堀


本来は8回受ける予定でしたが 最後の時期に 
急に足が動かなくなり歩けなくなってしまいました。
先生からは 骨への転移を疑われ 放射線治療も受けました。
でも それ効いたのでしょうか 足もすっかり良くなりました。

↓ 国立劇場の前広場の桜

国立劇場 桜


暫く元気で生活していましたが 2005年に再発し 
前回の状態をふまえ 先生も これが最後と思ったのでしょう、
通常 悪性リンパ腫の患者さんの最後の治療として行われる
骨髄移植を受ける事を勧められ それに従いました。

自分の骨髄を使う自家移植を受け 長期入院生活を送りました。
( やはり 髪の毛は全部抜け 大量の抗がん剤治療の副作用に
非常に苦しみました )
でも退院後は またまた元気になり 本来は2年間、海外はダメよ
と看護師さんに言われていましたが 7か月後にはドバイに
( 先生には内緒で ) 行き その頃一番高級だと言われていた
バージュアルアラブという7つ星ホテルに泊まったりしていました。

↓ 近所の桜

近所の桜


そしてその時に
「 病気を心配してくれている お友達に向けて 
お母さんが元気にしていることを伝えたら? 」 と娘に勧められ
このブログを始めました。
それが2005年の秋です。

近所の桜


でも移植の効果も長くは続かず 2008年に 又 再発しました。
そして2009年に 画期的な治療薬 ゼバリン というものが
保険適応になり その時は それを受けることが出来ました。
それは 一人一人の薬を ( 確かその時は ) ヨーロッパに
オーダーし 出来た薬を空輸して 点滴するというもので
たった1回の治療で済むという 患者にとっては大変楽な治療でした。
確か治療費は 先生いわく 車が一台買える金額、と言っていました。

ちょうど その頃に高額医療費の払い戻し制度が、
一度 支払って その後 後から戻ってくるというシステムから
先に申請すれば 退院時 限度額のみの支払いで済み 
あとは国と保険組合が支払っくれる? というシステムに変わった時
だったので おかげさまで支払いも 負担にならずに済みました。

↓ カープ、開幕戦で広島に行くため 羽田に向かう車の中で

朝焼け


↓ カープ開幕戦、 息子は友人と金曜夜から土、日の3連戦を
  主人は広島の友人と土曜日から観戦、応援してきました。 

カープ 開幕戦1


主人と息子、 もちろん 春の沖縄キャンプにも行っています。
来年からは 鯉のぼりロードがある 宮崎日南キャンプにも
行かなくちゃ、と言っています。

息子? はい、 しがないサラリーマンです。
主人? はい、 しがないほぼ年金生活者です。

2人ともカープにお金を使っているので 
全く貯金がありません、 とほほ。。。

カープ開幕戦2


話は戻って
ゼバリン治療は大変楽なものでしたが その後の副作用で
血小板の数値がなかなか戻らず 先生はとても心配していました。
でも 生活は普通にできていたので  私はそれほど心配せずに
日にちはだいぶかかりましたが 順調に元気になりました。

カープ 開幕戦


そしてまたまた2011年に再発、
今度は もう使う薬がなく ( 移植をしているので使う薬も
限られているようで ) この先どうしよう、と悲観していましたが
( 一度は 他の方からいただく骨髄移植の順番を待っていた時期も
ありましたが 肺の状態が良くなく 移植は断念しました )
その時 運がいいことに たまたま新しい薬の治験枠が一人分回ってきた、
ということで その薬を使うことが出来ました。

↓ 鎌倉山の 「 らい亭 」 に行って来ました。
  桜の時期にピッタリ合い とてもきれいな景色の中
  美味しいお蕎麦をいただきました。 

らい亭 立派な門


↑ ↓ 由緒ある 「 らい亭 」 の山門

鎌倉山 らい亭 


↓ 高台にあるのでとても広くて眺めの良い庭園

らい亭 庭らい亭 庭


でも 2011年年末にたった一回その治験薬を使っただけで
結局 2回目以降には進む事は出来ませんでした。
やはり今回も 血小板をはじめ いろいろな血液値が
先に進める数値に達することが出来ず それ以上 その薬を
使うことが出来なくなったのです。
そんなショックから この後の人生、 長くないのなら 
「 えぃっ! またドバイに行ってやる! 」 と決意し 
今度は エミレーツのファーストクラスで旅行して来ました。

↓ この建物の2階のお座敷で会席コースを頂きました。

らい亭


でもたった1回の治療でしたが なんと3年間も再発せず 
元気に生活できていました。
穏やかに3年間も生活できていたのは この期間が
病気になって初めての事でした。

その間 調子に乗った私は おまけでもらった人生だから と
「 んじゃぁ今度は JALのファーストクラスに乗っちゃう? 」 と
手持ちのマイルを総動員して NYに行って来ました。

↓ らい亭 2階お座敷に入るロビー( 富士山が見えました )

窓から富士山が


待合室


そして去年、2014年11月 バンコクから帰ってきた翌日
先生から CTと血液検査の結果を伝えられ またまた再発を
告げられました。
直ぐ入院して 細胞の検査をしたところ やはり 悪性度の高い
細胞だったとのこと。
画像上でも 自分で見てびっくりするくらい広範囲にわたっていて
早急な治療が必要と言われました。

↓ 手打ちそばが入った柊会席料理コース 4500円+税+サ

らい亭 ランチ


メニュー


今回も使える薬がないので 骨髄移植の話がまた出ましたが
またまた運の良いことに 治験の薬の枠が ちょうど一人分空いた、
( すでに受けることが決まっていた人のキャンセルがでた )
ということで すぐその枠に入れてもらうことが出来ました。

それが今 参加している治験です。

↓ 鎌倉 長谷寺

鎌倉 長谷寺


もうすでに 7回目の治療を受けています。

何しろ第一相 という段階なので 今後どのようになっていくのか
先生も治験のコーディネーターさんも 手さぐり状態なのですが
私は 治療の事は考えずに 病院の行きかえりで楽しみを見つけて
通院している という状態です。

そして 今までも 今でも 病気のことを忘れて夢中になれる 
「 旅行のプラン練り 」 に熱中しているというわけです。

この 「 旅行 」 というものがなければ 私はずっと外にも出ず
家に閉じこもっていたかもしれません。

「 旅行のプラン練り 」 という術を入手した私は
テレビを見ては 本を読んでは 他の方のブログを見ては
あ~ 私もあそこに行きたい, へぇ~ こんなところにも行きたい と
次々と旅への欲求が湧いて来ます。
そのおかげで今もこうして あんまり大変だなんて思わず
病気と付き合って行けているんだ、 と思っています。

千鳥ヶ淵


ということで 私の病気のこれまでの経緯をお話ししました。

( ふぅ~。 あまりにも長期間 いろいろな治療をしているので
  自分でも時々忘れることがあります 苦笑 )

そんな私なので 同じところに2回は行けないかもしれない
という思いから 絶対行きたいところ 絶対泊まりたいホテルを
中心に 計画を立てています。

この私のシナリオは いつまで続くか分かりませんが
まだ生かしてくれている大きな何かに感謝して
これからも 病人だと思って卑屈にならず 堂々と 
でも侮らず 粛々と生きて行きたいと思っています。

では次回は 「 北陸新幹線開業記念旅行 リバーリトリート雅楽倶 」 
の旅行記になります。

リバーリトリート雅楽俱


これからも 「 紀子の部屋 」 をよろしくお願い致します。